2015 |
05,20 |
立て続けによく似た状況に、縁が出てきたため、半分は状況整理するため、
もう半分は少し愚痴でもこぼしてみようかなと(笑)
一般常識ってなんのためにあるのだろうか?
世の中をうまく生き抜くためだろうか?
社会に迷惑をかけないためだろうか?
逆に、一般常識を外れることはなぜダメなのだろうか?
周りに迷惑をかけてしまう?
意思疎通ができない?
社会に対応できない?
この一般常識と非常識という、カテゴリが今日のテーマにしたいと思いました。
どちらが好きですか?
一般常識のある人なのか
非常識極まりない人なのか?
今、嫌な書き方をしました僕(笑)
非常識極まりない人なら、多くの人が避けるかもしれないです。
では、また嫌な書き方をします僕(笑)
常識を守るために人を傷つける場合は、暖かい選択といえるのでしょうか?
これも多くの人がそんなことは無いと言います。
でも、この一般常識と非常識の問題では、多くの場合、数の少ない方が不利になります。
これも何かおかしくないですか?
一般常識と非常識とは、数が多い方が正しいという事でしょうか?
これもまた、多くの方が、違うと思うと言います。
なら一般常識と非常識ってどんな風に理解をしていけば良いのだろうか?
僕はそう考えます。
うーん、なんだろう?(笑)
少し、頭の中を適当にアウトプットしてみます。
主導権を軸に考えると、主導権のない人は、自分のパーソナルスペースを守るために、「内に閉ざす」または「相手を責めます」
主導権のある人は、「内面の反応を俯瞰します」その結果、「自分にとって不要な観念なら手放す努力に変えます」
でも、実際に事例のような状況に自分がいたら・・・
内面に閉ざすことを宣言?
準備ができていないこと告げる?
今までの僕ならそーしている。
でももう一歩進めなきゃいけないと感じる。
あーそうか、非常識と言うのは、相手に影響を与える行為に等しいのかもしれない、だから、いろいろと周りに反応を起こして、また、自分に返ってきているだけかもしれない。
行動で一般常識や非常識ではなく、内面での境界線のことを現しているのかもしれない。
なら、何を指針に変化を起こしていけば良いのだろうか?
つまり、全てが一体であるのだから、常識を外れるときというのは、自分にとって常識を外れると同時に、相手のパーソナルスペースに割り込むと等しくなる。
つまり、自分内面に非常識とは、まだまだ自分の一部だと思えていない部分を現しているだけやな〜
つまり、まだまだ、言葉遊びの範疇で未熟やなと、もし非常識というのが成熟されていたら、多分相手には非常識と感じることなく成り立つ気がするな(笑)
なんとなく、うっすら、感じてはいたことだけど、たまにはこーゆーアウトプットも良いかもしれない。
しかし、実際はさらにその観念の反応を探るように掘り下げなきゃいかんやろうしね。
もう半分は少し愚痴でもこぼしてみようかなと(笑)
一般常識ってなんのためにあるのだろうか?
世の中をうまく生き抜くためだろうか?
社会に迷惑をかけないためだろうか?
逆に、一般常識を外れることはなぜダメなのだろうか?
周りに迷惑をかけてしまう?
意思疎通ができない?
社会に対応できない?
この一般常識と非常識という、カテゴリが今日のテーマにしたいと思いました。
どちらが好きですか?
一般常識のある人なのか
非常識極まりない人なのか?
今、嫌な書き方をしました僕(笑)
非常識極まりない人なら、多くの人が避けるかもしれないです。
では、また嫌な書き方をします僕(笑)
常識を守るために人を傷つける場合は、暖かい選択といえるのでしょうか?
これも多くの人がそんなことは無いと言います。
でも、この一般常識と非常識の問題では、多くの場合、数の少ない方が不利になります。
これも何かおかしくないですか?
一般常識と非常識とは、数が多い方が正しいという事でしょうか?
これもまた、多くの方が、違うと思うと言います。
なら一般常識と非常識ってどんな風に理解をしていけば良いのだろうか?
僕はそう考えます。
うーん、なんだろう?(笑)
少し、頭の中を適当にアウトプットしてみます。
主導権を軸に考えると、主導権のない人は、自分のパーソナルスペースを守るために、「内に閉ざす」または「相手を責めます」
主導権のある人は、「内面の反応を俯瞰します」その結果、「自分にとって不要な観念なら手放す努力に変えます」
でも、実際に事例のような状況に自分がいたら・・・
内面に閉ざすことを宣言?
準備ができていないこと告げる?
今までの僕ならそーしている。
でももう一歩進めなきゃいけないと感じる。
あーそうか、非常識と言うのは、相手に影響を与える行為に等しいのかもしれない、だから、いろいろと周りに反応を起こして、また、自分に返ってきているだけかもしれない。
行動で一般常識や非常識ではなく、内面での境界線のことを現しているのかもしれない。
なら、何を指針に変化を起こしていけば良いのだろうか?
つまり、全てが一体であるのだから、常識を外れるときというのは、自分にとって常識を外れると同時に、相手のパーソナルスペースに割り込むと等しくなる。
つまり、自分内面に非常識とは、まだまだ自分の一部だと思えていない部分を現しているだけやな〜
つまり、まだまだ、言葉遊びの範疇で未熟やなと、もし非常識というのが成熟されていたら、多分相手には非常識と感じることなく成り立つ気がするな(笑)
なんとなく、うっすら、感じてはいたことだけど、たまにはこーゆーアウトプットも良いかもしれない。
しかし、実際はさらにその観念の反応を探るように掘り下げなきゃいかんやろうしね。
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プロフィール
HN:
モト
年齢:
47
性別:
男性
誕生日:
1977/10/27
職業:
自称 写真家
趣味:
瞑想
自己紹介:
最近のブームは格闘技です。めちゃくちゃ弱いくせに友達とあーでもないこーでもないと理論を繰り広げて練習という名のじゃれあいを楽しんでいます。そんな小さな自分が好きです
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