2009 |
09,26 |
友達と遊ぶ約束らしい
ぼくは、カメラ片手に写真撮影
子どもたちは3人で仲良く遊んでいる。
で、
妻もママさん友達としゃべくりまくっている。
で、
僕一人、仲間外れ・・・
なので、ベンチに寝転がってヘミシンク
結構、外でやるヘミシンクは好きだ
外で食べる御飯がおいしいように
外でヘミシンクは気持ちがいい
軽く昼寝状態
で、少し気づきがあったのでアウトプット
視界について気づいたことがあった
通常、目を開けていて見える視界は
まぁ、どうだろう、ざっくりだが180度くらいは見えると思う。
で、ヘミシンクだが、見える視界には2種類あることに気づいた
1つ目、視界が異常にせまい
おおよそ、スポット
この状態のときは、まだ、意識が浅く、外部の音が目立ち、ぼんやりイメージがある程度
たぶん、完全な変性意識に入っていない状態。
もしくは、ベールのこちら側(物質世界)
で、その後
意識が深まり、一瞬、意識が途切れたあとは、
2つ目の視界
こちらは、割と普通の視界。
1つ目の視界は、望遠鏡で覗いている感じに似ているが、
2つ目の視界は、そこに参加してる感じの視界
たぶんこの状態が、良いのだと思う。
感覚的には、
その世界にいる感じ
物理的な外部とは切り離されており、外部の音や、身体の感覚は、意識が届いていない
ベールのあっち側(非物質世界)
でも、気づいたら、だんだん物質側に戻っている
で、外部の音がはっきりとしてくる
2009 |
09,26 |
«だれ?»
もしくは・・・
ガイドとのコミュニケーションではないだろうか!
でも、なかなか、コミュニケーションできない。
でも、
すこしだが、兆しがあった。
お昼に配達中に、昼寝がてら瞑想をした。
イメージを使って、誘導しながら意識が深まってきた。
どうやら、桟橋を勢いよく走っている。
(しかも、桟橋っぽいのだが、手すりしかない)
まっ、でも、ぼくは、その上を走っているのだから仕方ない。
で、なんだが、楽しかったのでしばらく走ってみることにした。
そのあたりから、少し記憶がとびか掛けているのだが、
なにやら、桟橋の終点に人がいる
海に向かって立っている。
白いワンピースを着た女性だ
顔は、見えない。
ガイドだろうか?
ドキドキしながら近づいていことしたが、意識を集中できない。
だめだ。
今回はここで終了。
2009 |
09,21 |
«4時に目が覚めた»
時間は9時。
一瞬で僕のほうが寝てしまった。
そうしたら、やっぱり朝早く目が覚めてしまった。
パソコンを開いて、なんとなくネット。
まるの日 圭さんのブログが更新されていたので、チェック
うん、ヘミシンクでもやるか!って感じに
ゲートウェイシリーズのフォーカス21でフリーフローを聴くことに
ガイダンスに従ってフォーカス12へ
次のガイダンスが流れるまで、結構時間があるので、遊んでみた
朝のため調子がよいのだろうか、イメージが割と自由に見えてくる
ガイドを呼んでみたが、まだ知覚できない。
なにか、ブロックがかかっているのだろうか?
すこし、自分自身に問いかけてみた。が、よくわからない
しばらくすると、なぜか、小さな配管のようなトンネルの中にいる
しかも、なぜか、ピザ生地のようなものをせっせと作りながら、配管の中に
敷き詰めている。
で、生地をこねるのは、好きなのでしばらく、せっせと作ってみた。おもしろい
このあたりから、記憶はあいまいだが、ガイダンスでフォーカス21へ
配管もだんだん細くなってきたんで、出ることに。
そのあとも、となりで、寝ている息子のハイヤーセルフに会いたいと呼んでみたり
何かしていたが、忘れてしまった。
夢も見ていたと思うが、忘れてしまった。
やっぱり、ボイスレコーダーで控えるか、メモで起きるときに控えないとダメだ
次は、練習してみようと思う
2009 |
09,20 |
«ガイド?»
僕的には、ガイドとの交流だと思ってます。
以前から、何度も試みているのだが・・・
よくわからない。
光のイメージや、モヤみたいなのは、現われてくれたり
ウロウロしているが、それ以上は無い
まだ、知覚が狭いようだ
で、昨日の夜、思考の滝で、遊んでいて、ふと
ガイドを呼んでみたくなった
で、呼んでみた。
意識が深まる感覚がして
今度は、光のイメージではなく、黒っぽいイメージ、何かの表面みたい
心を開くイメージで、愛の感情を投げかけてみた・・・
変化なし
そのあたりから、記憶が薄れてきた
何となく意識がもうろうとして漂っていた
でも、少し変化があったのがうれしかった
2009 |
09,20 |
«思考の滝»
儒教理論らしいのですが
瞑想について、段階的なプロセスを説明している一説がある
「偉大な指導者になりたければ、7つの瞑想空間にはいらなければならない
7つとは、意識、停止、平静、静寂、安穏、熟考、到達である。」
今日は、お風呂で瞑想していて感じたことがあったのでメモしてみます。
よく、思考は滝のようなものだと言う
確かに、滝のように思考が流れてくる
これが、実に厄介
なぜなら、
止まらない
勝手に流れてくる
内容が意図できない
これは、すぐに分かってもらえると思う。
で、きょうも、お風呂で瞑想をしていたら
すこし、この思考の滝と遊んでみようと考えた
理由は、自己との対話をしてみたいからだ
で、しばらく、呼び水のため、自分で自分自身と会話をしているふりをしている
しかし、すぐに、これすらできない
なぜなら、今日、4歳の息子に、レスキューファイアーのテーマソングを買ってあげてずっと聞いていた
せいか、耳から離れない
まっ、でも、あきらめずに、いろいろ会話をためしたり、質問をしたり、ぼーっとしたり
いろいろしていると、ふと気づいたことがある
1.思考の流れが見えてくる
2.思考の流れが、遅くなる瞬間がある
3.思考の流れが、遅くなると、意識が深くなる
4.思考の流れを遅くするには、ゆっくりと、確実に意図を定めながら質問をすると、調子がいい
今わかってきたのは、こんなものだが、この先に何かある。
直感だが、何となくそんな感じがする
例えるなら、やっぱり思考は滝だっ
すごい水圧で思考が流れ落ちてきている
でも、
でも、
でも、
滝の裏側には、洞窟があるのがわかる
どうやって、思考という水圧に負けずに、洞窟に到達すればよいのだろうか!
とりあえず、あとで、ヘミシンクでもしながら、もう一度やってみるか